分岐点

引き返せることができるポイント、というのがある。

これを超えたらいくところまでいってしまうな、という分岐点のようなものは、誰かとつきあっていればなんとなく見える瞬間があるものだ。見えてしまえば、つまりそれは通り過ぎたということになる。だからたいていは「あああそこだったのか」とぼんやりと思い出すのが関の山だ。

私の場合。彼から電話が来た、あの時点が分岐点だったなとまたもや後からわかってしまった、という。あのときなら、引き返すことも、別の道を選択することもできただろう。事実、そういう道も見えていたんだし。ところが実際はこのていたらく。つまりもう戻れないし別の道を行くことができなくなっている、そういうわけ。