ストーカーくんのこと5

私が彼の話を共通のマイミクさんやある程度公な場でしたことで、どうも「自分をネタにしてあざ笑っている」と信じ込んでしまっているようだ。自分のしてることを考えろよといいたくはなるけれども、なんでもいい。とりあえず嫌いになってくれさえすればそれでケッコウなのだけど、ところが彼の思考回路は「そういう彼女に手を差し伸べる俺(=無償の愛、善人の証明)」であるらしい。被害者意識丸出しにしながら、それを反転させてさらなる優位に立とうとする、その根性がたまらなく不気味で、心底うんざりさせられる。こんな風に過度に熱心なのは、自らから逃避したいからなのだろう。こうしてストーカーくんのことをアレコレ書いていると、だんだんと鈴木いづみ阿部薫について語った文章に似てきているような気がしてきた。いづみのように愛があればまだマシかもしれないが。私はひたすら疲れてしまっている。

ストーカーくんのこと4

彼とは共通のマイミクさんがいるので、マイミクさんのところにコメントすると彼と遭遇する蓋然性が(当たり前だが)非常に高い。そのためコメントはしないようにしていた。けれども、どうしても、それはどうよ?と思うコメントがあり、ついついレスしてしまった。ストーカーくんも私の後にコメントをし、最後にこんなことを書いていた。「国交断絶から和解のプロセスに入りたいので何卒お願い致します」

もう誰の日記にもコメントしない、と決めた。こうして私はあちこちから追い出されてしまうのでした。私自身の馬鹿さ故に。

あんた、鬼にでくわすよ。

映画「帝都物語」では泉鏡花(演:中村玉三郎)がこんな台詞を言う。「あんた、近々、鬼にでくわすよ。御新造さん、鬼を憎んじゃいけないよ。憎むってことはそれだけ情が動くってことだ。情が動けば心が揺れて、その心を鬼が食っちまわねえかと...」

私は鬼に出くわして、そして情を動かして、食われてしまった。だからだろうか、長い文章がかけなくなっている。どうしても。食われた心が再生するのは、いったいいつのことなのだろう?

ストーカーくんのこと3

彼はあるところで私について「彼女はいいけど、相手の血筋に問題がある。」などといってたようだ。条件反射的にレイシズム発言をするネトウヨ的馬鹿よりも、こういう、リベラル面、良識派ヅラしておきながらも、結局自身の根底にある差別意識を払拭できず、またその自覚もない人間の方が、心の底から唾棄すべきだと思っている。

諦念プシガンガ

彼に私のことはまだ好きか、聞いてみた。
「嫌いな気持ちなんてないよ、ただ医者からは“仕事や人生に対して重要な決断をしないように”と釘を刺されているから何も考えないようにします」といわれてしまった。

私はそこでやっぱり「よければそばにいさせてくれない?」とメールを送ってしまったのだった。ホレタヨワミ。

そんなメールにも、そして電話しても返事はない。とりあえず放置プレイでいくことにした。

彼は以前私に「俺は甘えるときは本当に酷い甘え方をするよ」といってたけど、まさかこんな形をとるとは。結局私が待っていることを前提にすべて話が進んでいる気がする。返事をしなくても、わたしが待っていることが、彼にはよくわかっているのだ。それが、腹が立つ。と同時に、まさに「諦念プシガンガ」が実現されているんだな、と実感する。私の中で。「牛のように豚のようにころしても、いい。いいのよ、我一塊の肉塊なり」

彼から連絡が来たけど

どうも鬱病になってしまったようだ。投薬治療を行うという。経験者としては薬や医者があわないと思ったらかえる勇気を持ってほしいなと思う。「薬が効いたらすぐに連絡する」なんていってるけど、そんな万能薬じゃないんだぜ。ちょっと心配だ。